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戦争から友好へ
1864年のイギリス議会で、薩英戦争における鹿児島市街砲撃が問題になりました。ヴィクトリア女王はその開会あいさつの中で、罪もない市民に多大な被害を与えたことに対し、遺憾の意を表明していました。当時の新聞で報じられています。
災い転じて福となす、の諺(ことわざ)通り、薩摩藩は英国への留学生を計画。これは島津斉彬公が念願していて果たせず、その遺志をくんだ五代友厚が建言し、小松帯刀・大久保利通らの尽力によって実現しました。慶応元年(1865年)春、串木野の羽島浦から薩摩藩留学生の一行が英国のサザンプトンへ向け出航したのです。
幕末とはいえ、海外への渡航は禁止されており、甑島や奄美大島への出張という名目で変名を用いての密航でした。新納刑部(久脩)を団長とする4名の外交使節、開成所(薩摩藩の洋学校)の生徒を中心とした15人の留学生。いずれも20歳前後の俊英たちで、最年長は引率役の松木弘安と新納の34歳、最年少は弱冠13歳の磯永彦輔(のちの長沢鼎)でした。
留学生らは1867年に開催されたパリ万国博覧会にも、薩摩藩の独自展示のために参加。「薩摩琉球国」の名称で出品し、薩摩焼などを世界に披露したことでも知られています。
これらは「絵入りロンドンニュース」でも報じられていますが、同紙は当時の様子を知る上で貴重な資料になっています。世界中のことを絵(イラスト)入りで紹介する、庶民向けの新聞で、今日で言う週刊誌的な役割を果たしていました。1861年、来日した特派員ワーグマンらが幕末の日本の世相や事件を本国に送り続け、数多くの記事と銅版画が掲載されました。
当館において展示しているものは、非常に保存状態のよいオリジナル。当時の雰囲気を伝えるページを表装して、展示しています。
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