牧野義雄(1869-1956)は、英国で「霧の画家」として高い評価を受けた水彩画家です。英国風景と都市の生活を独自の手法と流儀で描き、英国画壇の寵児(ちょうじ)ともてはやされましたが、晩年は不遇で日本ではほとんど知られていませんでした。その知られざる名作「雨のBBC (BBC in the rain, The Bush House)」は、温かいガス灯の光の奥にほのかに描かれている街の風景が印象的な作品で、かつて小説家H.G.ウェルズが所蔵し「この絵にはロンドンの全てが凝集されている」と評していたそうです。
2006年10月TV番組「開運!なんでも鑑定団」でも紹介され、同番組で「絵画における大発見」と絶賛されました(薩摩英国館所蔵)。
・薩摩藩留学生
慶応元年3月22日(1865年4月17日)、串木野の羽島浦から薩摩藩留学生の一行19人がオースタライエン号(グラバー商会の船)で出航しました。
みたこともない習俗、文化の違いや科学技術の発達に驚きながら、66日間の旅を過ごした留学生たちは、ロンドン大学(UCL)に入学。海軍測量術・機械術・陸軍学術・文学・医学・化学等の勉学にいそしみました。
また、新納や五代らは紡績機械を購入したり、パリ万国博覧会の打ち合わせなどを行う一方、海外の情勢や外国人の日本観などを書き送って藩の進むべき方向を示しています。
留学生はその後、大部分の者が米国やフランスに渡って留学生活を続け、帰国後、さまざま分野で留学の成果を発揮しました。それは、明治維新後の近代日本建設の原動力となったのです。
薩摩藩留学生はUCLにおいて、すでに2年前にやって来ていた長州藩士たちと出会い、いち早く国外で「薩長」のつながりをもちました。この中には、後に我が国初の内閣総理大臣となった伊藤博文の名もあり、その後、日本と西欧の交流に多大な貢献をなしたことは言うまでもありません。
天璋院となった篤姫が養育に心を砕いた徳川家達(いえさと、慶喜の養子)は、1877年に渡英し名門イートン・カレッジに学び、帰国。のちには貴族院議長なども務めました。
・留学生の帰国後の足跡
新納久脩 /薩摩藩最後の家老、大島島司として民政に尽くす
五代友厚 /経済界で活躍、大阪商工会議所初代会頭
村橋久成 /北海道開拓使として、サッポロビールの前身となる札幌麦酒醸造所創設
寺島宗則 /初代外務卿、一貫して明治外交を支える
森 有礼 /初代文部大臣、外交と教育の両面で活躍
堀 孝之 /通訳、五代とともに経済界に貢献 (長崎出身)
中村博愛 /オランダ大使など歴任
町田久成 /国立博物館建設に尽力、初代館長
長沢 鼎 /米国に永住、カリフォルニアの“ブドウ王”
畠山義成 /東京開成学校(のちの東京大学)初代校長
東郷愛之進 /戊辰戦争で戦死
朝倉盛明 /生野銀山局長、日本の鉱物開発に貢献
高見弥一 /数学教師
旧制七高(鹿児島大学)の前身となる県立中学校造士館で教える(土佐出身)
鮫島尚信 /外交で活躍、駐仏公使など3カ国の公使を兼任し、パリで客死 松村淳蔵 /海軍で活躍、海軍兵学校校長
名越時成 /不明
吉田清成 /駐米全権大使などをへて、枢密院顧問官
町田申四郎 /小松帯刀の養子となる (町田久成の弟)
町田清次郎 /のち財部家を継ぎ、財部実行 (町田久成の弟)
日英友好協会は1993年、日英交流のスタート地点とも言える鹿児島の地において、日本と英国の親善交流と友好とに寄与する目的で創設されました。薩摩藩英国留学生の子孫、留学生が学んだ英国のロンドン大学(UCL)教授ら関係者、さらに鹿児島の日英交流に思いを寄せる人達を中心に活動をひろげ、UCL構内に薩摩藩・長州藩の幕末留学生を顕彰する碑を建立するなどしてまいりました。
また、若くして異国に命を落とした「サムライ留学生」(佐賀、長州、土佐などの士族)が眠る、ブルックウッド墓地を管理するなどの地道な活動も行い、顕彰碑を建てました。これまでの実績を踏まえた上で、より一層の発展を目指して特定非営利活動法人化を申請し、2008年認可されました。
シャーロック・ホームズの世界的研究者で有名な田中喜芳さん。彼は世界で、最も権威あるホームズ研究団体"ベイカー・ストリート・イレギュラーズ"に、2人目の日本人会員として入会を認められています。
これまでのホームズ関連の著書は、著作、翻訳を含め16冊も手掛けています。また、彼のイラストも海外の単行本、雑誌に数多く掲載され、高い評価を受けています。
ご本人いわく"私の絵を通じて、一人でも多くの人が、イギリスの街の美しさ、ひいては、イギリスそのものを好きになってくれればと願っています"と。
イラストの展示・販売は日本では当館のみとなっております。